MLBの300勝投手を紹介:300勝クラブの24人の投手

MLB

この記事では、MLBにおいて通算300勝を達成した投手を紹介します。

現在のMLBでは、投手の起用法が変化したのもあって、200勝を達成するのでさえ難しいです。

しかし、過去には通算300勝を達成した投手が24人います。

【MLB】300勝投手

ここからは、通算300勝を達成した投手を、勝ち数の多い順に紹介します。

サイ・ヤング:511勝

デントン・トゥルー・ヤング
Denton True Young
1867年3月29日 オハイオ州ギルモア出身
右投げ右打ち

5回のシーズン30勝以上をはじめ、MLB初の完全試合も達成、ノーヒット・ノーランも2度達成しています。

通算511勝はMLB記録で、2位のウォルター・ジョンソン(416勝)を大きく引き離しています。

1937年に野球殿堂入りするとともに、1956年には、ヤングの栄誉を称えてシーズンに最も活躍した投手に与えられる「サイ・ヤング賞」が制定されました。

ウォルター・ジョンソン:417勝

ウォルター・ペリー・ジョンソン
Walter Perry Johnson
1887年11月6日 カンザス州フンボルト出身
右投げ右打ち

The Big Train(人間機関車)と言われるほどの剛速球投手でしたが、MLBデビューした頃は打線の援護がなく、1907年の防御率が1.88で5勝、1908年が1.65で14勝、1909年も2.22で13勝と勝ち星を積み上げることができませんでした。

しかし、4年目の1910年にシーズン25勝を挙げると、その後は1912年に33勝、1913年に36勝を挙げるなど、10年連続で20勝以上を挙げました。

1936年に創設された野球殿堂に最初に入った5人のうちの1人です。

G・アレキサンダー:373勝

グロバー・クリーブランド・アレクサンダー
Grover Cleveland Alexander
1887年2月26日 ネブラスカ州エルバ出身
右投げ右打ち

1910年にフィラデルフィア・フィリーズからMLBデビューすると、新人最多記録の28勝を挙げました。

1916年のシーズン16完封のMLB記録を達成するなどし、その後の7年間で最多勝を5回獲得しています。

1918年に第一次世界大戦のため徴兵されると、難聴などの戦時後遺症を患い、また自身の飲酒の状態化も相まって、徐々に成績を落としていきました。

1938年に野球殿堂入り、アレキサンダーが在籍当時のチームロゴが、2001年にフィラデルフィア・フィリーズの永久欠番扱いに指定されています。

クリスティ-・マシュ-ソン:373勝

“クリスティ”クリストファー・マシューソン
Christopher “Christy” Mathewson
1880年8月12日 ペンシルベニア州ファクトリーヴィル出身
右投げ右打ち

MLBデビュー2年目に20勝を挙げると、1903年から1905年まで毎年30勝以上を達成、1914年まで12年間連続で20勝以上を挙げています。

針の穴を通すような制球力と外角へ逃げる変化球で、MLB歴代3位の通算373勝を挙げました。

マシューソンがノーヒット・ノーランを達成した試合後に肩や肘を冷やしていたことから、投球後のアイシングが広まったとされています。

マシュ-ソンは、1936年に創設された野球殿堂入りした5人のうちの1人で、在籍当時のチームロゴが、1988年にサンフランシスコ・ジャイアンツの永久欠番扱いに指定されています。

ウォーレン・スパーン:363勝

ウォーレン・エドワード・スパーン
Warren Edward Spahn
1921年4月23日 ニューヨーク州バッファロー出身
左投げ左打ち

1946年から1948年は、チームメイトで同じく投手のジョニー・セインとともにチームの大車輪として活躍し、「Spahn and Sain and pray for rain.」と新聞に評されるほどでした。

これは、スパーンとセインが投げない日は雨を祈れという意味です。

スパーンは左腕投手であったことから、1999年に、シーズンで最も活躍した左腕投手に送られる「ウォーレン・スパーン賞」が創設されています。

スパーンが付けていた背番号21は、1965年にミルウォーキー・ブレーブスの永久欠番に指定され、1973年に野球殿堂入りしています。

ジム・ガルビン:361勝

ジェームズ・フランシス・”パッド”・ガルヴィン
James Francis “Pud” Galvin
1856年12月25日 ミズーリ州セントルイス出身
右投げ右打ち

1879年にバッファロー・バイソンズに入団すると37勝を挙げ、その後も1884年まで6年間20勝以上を挙げました

下手投げルールが撤廃されると、1883年と1884年の2年連続で46勝を挙げています。

1885年にピッツバーグ・アレゲニーズに移籍すると、翌年から4年連続で20勝を挙げ、1888年にMLB史上初めて通算300勝を達成しました。

ガルビンは、20勝以上を10回挙げているものの、リーグ優勝を一度も経験したことがなく、これはMLB史上唯一となります。

1965年に、野球殿堂入りしています。

キッド・ニコルス:361勝

チャールズ・オーガスタス・”キッド”・ニコルズ
Charles Augustus “Kid” Nichols
1869年9月14日 ウィスコンシン州マディソン出身
右投げ両打ち

1890年にボストン・ビーンイーターズ (現アトランタ・ブレーブス)からMLBデビューすると、1年目に27勝を挙げ、その後は4年連続で30勝以上を挙げています。

1893年に投手と捕手の距離が13mから18.44mに変更されましたが、デビューから1899年までの10年間20勝以上を維持し、1901年に30歳の史上最年少で通算300勝を達成しています。

1949年に、野球殿堂入りしています。

グレッグ・マダックス:355勝

グレゴリー・アラン・マダックス
Gregory Alan Maddux
1966年4月14日 テキサス州サンアンジェロ出身
右投げ右打ち

1986年にMLBデビューをすると、1992年には20勝を挙げて最多勝を獲得し、サイ・ヤング賞を受賞しました。

MLBの先発投手としては球速が遅かったが、抜群の制球力で、変化球を織り交ぜながら打者のタイミングを外したり芯を外すグラウンドボールピッチャーでした。

マダックスが100球未満で13度完封していたことから、100球未満で完封することを「マダックス」と呼ばれるようになりました。

マダックスが付けていた背番号31は、2009年にシカゴ・カブスとミルウォーキー・ブレーブスの永久欠番に指定され、2014年に野球殿堂入りしています。

ロジャー・クレメンス:354勝

ウィリアム・ロジャー・クレメンス
William Roger Clemens
1962年8月4日 オハイオ州デイトン出身
右投げ右打ち

高いプロ意識を持ち、厳しく鍛えられたパワーとスキルは、多くの投手の手本となっています。

武器にしていた100mph(約160km/h)の速球と93mph(約150km/h)のフォークは、39歳を超えても衰えることはありませんでした。

また、MLB全打者はもとより全審判のクセをノートにとる綿密さで、それに加えて抜群の制球力による投球の組み立てを行っていました。

2007年に薬物使用が疑われ、クレメンスは全面否定するものの偽証罪で起訴されましたが、その後2012年に無罪となっています。

ティム・キーフ:342勝

ティモシー・ジョン・キーフ
Timothy John Keefe
1857年1月1日 マサチューセッツ州ケンブリッジ出身
右投げ右打ち

1880年にトロイ・トロージャンズでデビューすると、12試合に登板し6勝を挙げ、後年の計算で防御率0.86をたたき出しています。

1883年から6年連続でシーズン30勝以上を挙げていて、1883年と1886年には40勝以上を挙げています。

1890年に、ジム・ガルビンにつづいて、MLB史上2人目の通算300勝を達成しています。

1964年に、野球殿堂入りしています。

スティーブ・カールトン:329勝

スティーブン・ノーマン・カールトン
Steven Norman Carlton
1944年12月22日 フロリダ州マイアミ出身
左投げ左打ち

1965年以MLBデビューすると、1967年に14勝を挙げました。

1968年オフに参加した日米野球で、対戦した東京オリオンズの成田文男のスライダーに興味を示し、「メイド・イン・ジャパン」と呼ばれる、曲がりの大きな独特のスライダーを習得しました。

1安打完封は6度達成しているものの、ノーヒット・ノーランは一度もありません。

カールトンが付けていた背番号32は、1989年にフィラデルフィア・フィリーズの永久欠番に指定され、1994年に野球殿堂入りしています。

ジョン・クラークスン:328勝

ジョン・ギブソン・クラークソン
John Gibson Clarkson
1861年7月1日 マサチューセッツ州ケンブリッジ出身
右投げ右打ち

1883年にシカゴ・ホワイトストッキングスに入団すると、翌年にはMLB史上2位となるシーズン53勝を挙げました。

MLB史上、6度以上の30勝以上挙げているのは、ジョン・クラークスンとキッド・ニコルズだけです。

1892年に通算300勝を達成しましたが、1893年に投手と捕手の距離が13mから18.44mに変更されると、なかなか勝ち星を挙げられなくなりました。

1963年に、野球殿堂入りしています。

エディ・プランク:326勝

エドワード・スチュワート・”エディ”・プランク
Edward Stewart “Eddie” Plank
1875年8月31日 ペンシルベニア州ゲティスバーグ出身
左投げ左打ち

1901年にフィラデルフィア・アスレチックスに入団すると、翌年の1902年から20勝以上を4年連続で挙げます。

数少ない左横手投げの投手で、大きく変化するカーブを武器としていましたが、その球は避けづらかったためか、通算の与死球はMLB2位の多さでした。

フィラデルフィア・アスレチックス在籍中に、7回20勝以上を挙げ、1915年に左腕投手初の通算300勝
を達成しました。

1946年に、野球殿堂入りしています。

ノーラン・ライアン:324勝

リン・ノーラン・ライアン・ジュニア.,
Lynn Nolan Ryan Jr.
1947年1月31日 テキサス州レフュージオ出身
右投げ右打ち

スリークォーターから放たれる最速100.9mphの速球に大きく曲がる変化球を武器に三振の山を築いていきました。

1966年にニューヨーク・メッツからMLBデビューしたが、目立った成績を挙げられませんでしたが、1971年にカリフォルニア・エンゼルスに移籍すると、捕手のジェフ・トーボーグとともにフォーム改造に取り組み、1972年に19勝を挙げるようになりました。

ノーヒット・ノーランを7回達成し、1000投球回以上の投手では歴代第1位となる、通算被安打率6.56を挙げています。

ライアンが付けていた背番号30は、1992年にカリフォルニア・エンゼルスの永久欠番に、背番号34は、1996年にヒューストン・アストロズとテキサス・レンジャーズ永久欠番に指定され、1999年に野球殿堂入りしています。

ドン・サットン:324勝

ドナルド・ハワード・サットン
Donald Howard Sutton
1945年4月2日 アラバマ州バーバー郡クリオ出身
右投げ右打ち

1966年にロサンゼルス・ドジャースからMLBにデビューして12勝を挙げると、その後1983年の18年間10勝以上挙げました。

シカゴ・カブスが苦手で、カブス相手に13連敗したこともあり、これは一人の投手が一つのチームに対する連敗としてはMLB記録です。

また、20シーズン200イニング以上の登板を記録していて、これはMLB歴代唯一の投手です。

1998年に野球殿堂入り、サットンが付けていた背番号20は、ロサンゼルス・ドジャースの永久欠番に指定されています。

フィル・ニークロ:318勝

フィリップ・ヘンリー・ニークロ
Philip Henry Niekro
1939年4月1日 オハイオ州ブレイン出身
右投げ右打ち

ニックネームが「Knucksie」と呼ばれるほど、ナックルボールを中心に投球を組み立てる投手でした。

1964年にアトランタ・ブレーブスからMLBデビューすると、ニークロが47歳になった1986年までの間に10勝以上を19回記録し、そのうち20勝以上を3回達成しています。

現役生活24年の間に一度もワールド・シリーズに出場してませんが、40歳を過ぎてから121勝を挙げ、これらはどちらもMLB記録となっています。

1997年に野球殿堂入り、ニークロが付けていた背番号35は、1984年にアトランタ・ブレーブスの永久欠番に指定されています。

ゲイロード・ペリー:314勝

ゲイロード・ジャクソン・ペリー
Gaylord Jackson Perry
1938年9月15日 ノースカロライナ州ウィリアムストン出身
右投げ右打ち

1920年に死亡事故が起きて以来、指やボールにワセリンやポマードをつけて投球するスピットボールは禁止されていましたが、スピットボールを多用していた投手として有名です。

1962年にサンフランシスコ・ジャイアンツからMLBデビュー、1964年に12勝を挙げ、その後20勝以上を5回挙げるなど活躍しました。

両リーグで通算100勝を挙げるとともに、両リーグでサイ・ヤング賞を受賞、1982年に通算300勝を達成しています。

1991年に野球殿堂入り、ペリーが付けていた背番号36は、2005年にサンフランシスコ・ジャイアンツの永久欠番に指定されています。

トム・シーバー:311勝

ジョージ・トーマス・シーバー
George Thomas Seaver
1944年11月17日 カリフォルニア州フレズノ出身
右投げ右打ち

1967年にニューヨーク・メッツからMLBデビュー、この年16勝を挙げました。

1970年4月22日のサンディエゴ・パドレス戦では、MLB新記録の10連続奪三振、MLB記録に並ぶ19奪三振を挙げ、また1986年までの間に16回の開幕投手を務め、これらもMLB記録となります。

1985年に通算300勝を達成しています。

シーバーが付けていた背番号41は、1988年にニューヨーク・メッツの永久欠番に指定され、1992年に野球殿堂入りしています。

チャールズ・ラドボーン:309勝

チャールズ・ガードナー・ラドボーン
Charles Gardner “Charlie” Radbourn
1854年12月11日 ニューヨーク州ロチェスター出身
右投げ右打ち

1881年にプロビデンス・グレイズと契約し、この年にいきなり25勝を挙げました。

翌1882年には、さらに勝ち星を伸ばし33勝、1883年には48勝を挙げてリーグ最多勝を達成、1884年には登板数が75試合に達し、驚異の59勝を挙げました。

シーズン59勝はMLBの最多勝利記録であり、また、実働わずか11年で300勝を達成しました。

1939年に野球殿堂入りしています。

ミッキー・ウェルチ:307勝

マイケル・フランシス・ウェルチ
Michael Francis Welch
1859年7月4日 ニューヨーク市ブルックリン出身
右投げ右打ち

1880年にトロイ・トロージャンズでMLBデビューすると、34勝を挙げました。

1882年から1884年にかけて、サイドスローやオーバースローが解禁されると、9連続奪三振を記録するとともに、大きく勝ち星を伸ばしました。

1889年には、MLB史上初の代打となるなどして、1890年に通算300勝を達成しました。

1973年に野球殿堂入りしています。

トム・グラビン:305勝

トマス・マイケル・グラビン
Thomas Michael Glavine
1966年3月25日 マサチューセッツ州コンコード出身
左投げ左打ち

球速はあまり出ないが、コントロールが抜群で「世界最高の技巧派左腕投手」と称され、6回を自責点3以内におさめるクオリティー・スタートが63.9%と高数字を残しています。

1987年にアトランタ・ブレーブスでMLBデビューし、なかなか成績が上がらなかったものの、1991年には20勝を挙げて最多勝を獲得しました。

1991年に20勝にも最多勝とサイ・ヤング賞を獲得、1992年に20勝、1993年にも22勝を挙げ、3年連続20勝以上を達成しました。

1998年にも20勝を挙げ、最多勝とサイ・ヤング賞を受賞し、2000年に通算200勝、2007年に通算300勝を達成しました。

グラビンが付けていた背番号47は、2010年にアトランタ・ブレーブスの永久欠番に指定され、2014年に野球殿堂入りしています。

ランディー・ジョンソン:303勝

ランドール・デビッド・ジョンソン
Randall David Johnson
1963年9月10日カリフォルニア州ウォールナットクリーク出身
左投げ右打ち

2m8㎝の長身で腕も長い左腕投手であり、サイドスローから投げられる最速102mph(約164km/h)の速球と多彩な変化球は、特に左打者には打ちにくいと言われています。

5回のサイ・ヤング賞を受賞していて、MLBの左腕投手としては最多であり、通算奪三振4875と通算奪三振率10.61は、ともにMLB歴代2位です。

2009年に、MLB史上2位の高齢記録となる45歳での通算300勝の達成となりました。

ジョンソンが付けていた背番号51は、2015年にアリゾナ・ダイヤモンドバックスの永久欠番に指定され、2015年に野球殿堂入りしています。

レフティ・グローブ:300勝

ロバート・モーゼス・グローブ
Robert Moses “Lefty” Grove
1900年3月6日メリーランド州出身
左投げ左打ち

グローブの速球は、非常に速く煙のように見えないという事から、「スモークボール」と呼ばれていました。

1920年代後半当時のアスレチックスは攻撃陣が充実していたのも後押しし、1930年には、投手三冠王とセーブ王を獲得するなど、投手の全タイトルを総なめにしました。

グローブが獲得した最優秀防御率9回はMLB史上最多で、MLBデビューから17年で通算300を達成し、「史上最高の左腕投手」と評されています。

1947年に野球殿堂入りしています。

アーリィ・ウィン:300勝

アーリー・ウィン・ジュニア
Early Wynn Jr.
1920年1月6日 アラバマ州ハートフォード出身
右投げ両打ち

ウィンは、強気の内角攻めを得意とする剛速球投手で、打者にとって「最も恐ろしい投手のひとり」とされていました。

1939年にワシントン・セネタースでMLBデビュー、1949年にクリーブランド・インディアンスに移籍すると、コーチから指導された変化球をすぐに習得し、1950年のリーグ最優秀防御率を獲得しました。

インディアンス在籍中に4度シーズン20勝以上を挙げ、1957年にシカゴ・ホワイトソックスに移籍すると、1959年に22勝を挙げ、サイ・ヤング賞を受賞しました。

1963年にインディアンスに復帰し、通算300勝を達成しました。

1972年に野球殿堂入りしています。

【NPB】300勝投手

ここでは、NPBで通算300勝を達成している6人の投手を紹介します。

金田正一:400勝

1933年8月1日名古屋市北区出身
左投げ左打ち

国鉄スワローズと読売ジャイアンツで活躍し、NPBで通算400勝を達成したのは金田ただ一人です。

米田哲也:350勝

1938年3月3日鳥取県西伯郡大篠津村出身
右投げ右打ち

通算350勝とともに登板数949試合も、NPB歴代2位です。

小山正明:320勝

1934年7月28日兵庫県明石市出身
右投げ右打ち

精密機械と評されるほどのコントロールで、NPB歴代3位の通算320勝を挙げました。

鈴木啓示:317勝

1947年9月28日兵庫県西脇市出身
左投げ左打ち

通算317勝は左投手としてはNPB歴代2位であり、うち先発での勝利数288勝は日本記録です。

別所毅彦:310勝

1922年10月1日兵庫県淡路市出身
右投げ右打ち

投手として最多のベストナイン6回を獲得していて、1シーズン47完投は現在もNPB記録です。

ヴィクトル・スタルヒン:303勝

1916年5月1日ロシア帝国生まれ、北海道育ち
右投げ右打ち

1937年から1940年まで5シーズン連続で最多勝を獲得し、特に1939年の42勝はNPBタイ記録です。

まとめ

この記事では、MLBで通算300勝を達成した24人の投手を紹介しました。

通算300勝を達成するためには、長期間にわたって第一線で活躍する必要があり、偉大な記録であることは間違いありません。

2009年にランディー・ジョンソンが達成して以来、通算300勝を達成する投手が現れていません。

現在では、「投手の起用法や全体的な傾向を考えると、300勝の代わりに200勝が新たな目標となるだろう」と言われています。

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