MLB通算本塁打ランキング:ポジション別と日本人選手のTOP10も紹介

MLB

MLBの歴史は、数々の瞬間的な輝きと偉大な成就に彩られています。

その中でも、本塁打は最も鮮烈な瞬間の一つです。

この記事では、MLBの通算本塁打ランキングTOP10を紹介します。

数多くの選手たちが長打力と驚異的な能力によって、歴史の舞台で光り輝きました。

また、ポジション別の通算本塁打ランキングにも注目します。

捕手、一塁手、二塁手、三塁手、遊撃手、左翼手、中堅手、右翼手、指名打者、そして投手。

各ポジションで、どの選手が最も本塁打を放ったのかを紹介します。

さらに、日本人メジャーリーガーの通算本塁打ランキングTOP10も取り上げます。

日本からMLBに挑戦した選手たちが、国境を越えて名を馳せてきました。

MLB通算本塁打ランキング:TOP10

順位選手通算本塁打数本塁打率出場期間
1バリー・ボンズ
Barry Bonds
762.2601986-2007

1964年7月24日にカリフォルニア州リバーサイドで生まれました。

1986年にピッツバーグ・パイレーツでメジャーリーグデビューを果たしました。

通算762本の本塁打を放ち、MLB史上最も多くの本塁打を打った選手として知られています。

1993年から2007年にかけてサンフランシスコ・ジャイアンツでプレーし、首位打者2回、本塁打王2回、打点王1回達成しています。

2001年には、6試合連続本塁打を2回、1試合3本塁打を記録するなどし、MLB記録のシーズン73本の本塁打を放ちました。

7回のシーズンMVPを獲得し、オールスターゲームに13回選出されています。

また、外野手として史上最多12回のシルバースラッガー賞を受賞、ゴールドグラブ賞も8回受賞しています。

禁止薬物使用の疑惑が取りざたされましたが、その本塁打記録は野球界で高く評価されています。

順位選手通算本塁打数本塁打率出場期間
2ハンク・アーロン
Hank Aaron
755.2601986-2007

ハンク・アーロン(Hank Aaron)は、MLBで活躍した伝説的な選手です。

1934年2月5日にアラバマ州モービルで生まれました。

1954年にミルウォーキー・ブレーブス(現アトランタ・ブレーブス)でメジャーリーグデビューを果たしました。

最も有名な記録は、1974年4月8日にベーブ・ルースの通算714本の本塁打記録を破ったことです。

通算755本の本塁打を放ち、2017年にバリー・ボンズによって破られるまで、MLB史上最多本塁打数でした。

MLB史上最高の2,297打点、6,856塁打という驚異的な数字を残し、オールスターゲームに21回選出されました。

また、1957年には、シーズンMVPを受賞しています。

アーロンは、アフリカ系アメリカ人選手として、人種差別や偏見にも直面しました。

しかし、その才能と毅然とした姿勢によって多くの人々の尊敬を集め、人々に勇気と希望を与えました。

在籍時の背番号「44」は、1976年にミルウォーキー・ブルワーズ、1977年にアトランタ・ブレーブスの永久欠番に指定されました。

1982年にMLB殿堂入りを果たし、その後も野球界における偉大なアンバサダーとして、後進の育成や野球の普及、発展に努めました。

順位選手通算本塁打数本塁打率出場期間
3ベーブ・ルース
Babe Ruth
714.2491914-1935

MLBの歴史上、最も偉大な選手の一人として広く知られています。

1895年2月6日にメリーランド州ボルチモアで生まれました。

投手としての才能と、後には驚異的な打撃力を持つ野球選手として知られています。

1914年にボストン・レッドソックスでメジャーリーグデビューしました。

しかし、その後のニューヨーク・ヤンキースでのキャリアが有名です。

通算714本の本塁打を放ち、長らくMLBの最多本塁打記録を保持していました。

シーズン最多本塁打を12回達成していて、1927年には60本の本塁打を放ち、当時の記録を大幅に更新しました。

パワフルなスイングと驚異的なバッティングスキルを持ち、その華麗な打撃は野球ファンを魅了しました。

ルースの存在は、MLBの人気を大いに高め、野球界の黄金時代を築きました。

ルースは投手としても活躍し、レッドソックス時代には1916年と1918年のワールドシリーズで活躍しました。

しかし、その後の転機となるトレードでヤンキースに移籍し、その後は主に外野手としてプレーしました。

1936年に野球殿堂入りし、在籍時の背番号「3」は、1948年にニューヨーク・ヤンキースの永久欠番に指定されました。

その名声は野球のみならず、アメリカのスポーツ史にも大きな影響を与えています。

順位選手通算本塁打数本塁打率出場期間
4アルバート・プホルス
Albert Pujols
703.2082001-2022

1980年1月16日にドミニカ共和国サントドミンゴで生まれました。

2001年にセントルイス・カージナルスでメジャーリーグデビューしました。

そのシーズン、打率.329、37本塁打、130打点の新人離れした成績を残し、新人王を満票で受賞しました。

通算で703本の本塁打を放ち、特にカージナルス時代には、2006年と2011年の2度のワールドシリーズ制覇に大きく貢献しました。

特徴的な打撃スタイルを持ち、高い打率、長打力、出塁率を兼ね備えていました。

首位打者1回、本塁打王2回、打点王1回獲得、オールスターゲームにも12回選出されています。

セントルイス・カージナルスで11年間プレーした後、2012年にロサンゼルス・エンゼルスへ移籍しました。

エンゼルスでも一流の打者としての能力を発揮し、個人の記録を伸ばしました。

しかし、プホルスの後半のキャリアはケガや成績の低下に苦しみました。

順位選手通算本塁打数本塁打率出場期間
5アレックス・ロドリゲス
Alex Rodriguez
696.2231994-2016

1975年7月27日にニューヨーク州ニューヨーク市で生まれました。

1994年、18歳のときにシアトル・マリナーズでメジャーリーグデビューしました。

非常に器用な選手で、内野手としての守備能力と、卓越したバッティング技術で知られていました。

通算696本の本塁打を放ち、シーズン本塁打王を5回達成しました。

2005年、MLB史上初めて20代で通算400本塁打を達成しました。

この年は48本塁打を放ち、25年ぶりにヤンキースでの本塁打王となりました。

また、ヤンキース右打者のシーズン最多本塁打数を68年ぶりに更新しました。

内野守備でも優れた能力を持っていて、その守備力でチームを支えました。

オールスターゲームに14回選出され、シーズンMVPを3回、三塁手としてシルバースラッガー賞を10回獲得しています。

2016年に現役引退し、その後は野球解説者やヤンキースGM特別アドバイザーとして活動しました。

順位選手通算本塁打数本塁打率出場期間
6ウィリー・メイズ
Willie Mays
660.2011951-1973

1931年5月6日にアラバマ州ウェストフィールドで生まれました。

MLBの偉大な外野手の一人で、”史上最高の中堅手”と言われています。

1951年にニューヨーク・ジャイアンツ(現在のサンフランシスコ・ジャイアンツ)でメジャーリーグデビューしました。

通算660本の本塁打を放ち、本塁打王を4回獲得しています。

また、驚異的な守備力、パワフルなバッティング、俊足を駆使して数多くの難しいプレーを成功させました。

ゴールドグラブ賞を12回受賞し、その守備力でゲームの流れを変えることもありました。

また、スピードと走塁能力も際立っており、通算338盗塁を記録、盗塁王を4回獲得しています。

オールスターゲームに20回選出され、シーズンMVPを2回獲得しました。

1954年には、サンフランシスコ・ジャイアンツでワールドシリーズ制覇も経験しました。

1979年に野球殿堂入りし、在籍時の背番号24は、サンフランシスコ・ジャイアンツとニューヨーク・メッツの永久欠番に指定されています。

順位選手通算本塁打数本塁打率出場期間
7ケン・グリフィーJr.
Ken Griffey Jr.
630.2271989-2010

1969年11月21日にペンシルベニア州ドノラで生まれました。

1989年、19歳の時にシアトル・マリナーズでメジャーリーグデビューしました。

通算630本の本塁打を放ち、シーズン本塁打王を4回獲得しています。

1994年、5月31日までの本塁打が22本でMLB新記録となり、6月30日までの本塁打32本もMLB新記録となりました。

オールスターゲームに13回選出され、外野手としてシルバースラッガー賞も7回受賞しています。

守備面でも、センターでの優れた守備能力で知られていて、ゴールドグラブ賞を10回受賞しています。

2016年には野球殿堂入りを果たし、背番号24はシアトル・マリナーズの永久欠番に指定されています。

順位選手通算本塁打数本塁打率出場期間
8ジム・トーミ
Jim Thome
612.2631991-2012

1970年8月27日にイリノイ州ピオリアで生まれました。

1991年にクリーブランド・インディアンスでメジャーリーグデビューしました。

通算612本の本塁打を放ち、MLB史上最も多くの本塁打を放った左打者の一人です。

昔ながらのパワーヒッターで、バットスピードと正確な打撃技術を兼ね備えていました。

通算1,747四球を達成するなど、出塁率が非常に高かったことでも知られています。

クリーブランド・インディアンスのほかに、フィラデルフィア・フィリーズ、シカゴ・ホワイトソックス、ロサンゼルス・ドジャースなど、複数のチームでプレーしました。

オールスターゲームに5回選出され、1996年には三塁手としてシルバースラッガー賞を受賞しました。

2018年に野球殿堂入り、背番号「25」はクリーブランド・インディアンス(現クリーブランド・ガーディアンズ)の永久欠番に指定されています。

順位選手通算本塁打数本塁打率出場期間
9サミー・ソーサ
Sammy Sosa
609.2531989-2007

1968年11月12日にドミニカ共和国サンペドロ・デ・マコリスで生まれました。

1989年にテキサス・レンジャースでメジャーリーグデビューしました。

長打力に優れ、特にホームランでその名を知られる選手でした。

「Slammin’ Sammy(スラミン・サミー)」という愛称で親しまれ、強力なバッティングスイングでホームランを連発する打撃が特徴でした。

通算609本の本塁打を放ち、そのうちシーズン60本塁打以上を3回(1998年、1999年、2001年)記録しました。

特に1998年は、マーク・マグワイアと本塁打競争を繰り広げ、ともに60本以上を記録する活躍を見せました。

オールスターゲームに7回選出され、外野手としてシルバースラッガー賞を6回受賞しました。

彼の記録や功績には論争がつきまといましたが、その存在は野球ファンにとって忘れられないものとなっています。

順位選手通算本塁打数本塁打率出場期間
10フランク・ロビンソン
Frank Robinson
586.1991956-1976

1935年8月31日にテキサス州ボーモントで生まれました。

1956年にシンシナティ・レッズから20歳でメジャーリーグデビューしました。

通算586本の本塁打を放ち、1966年には本塁打王を獲得しました。

1961年ナショナル・リーグMVP、1966年アメリカン・リーグMVPと、MLB史上初めて両リーグでの受賞となりました。

特に1966年は、打率.316、49本塁打、122打点で、アフリカ系アメリカ人選手として史上初めて三冠王に輝いています。

また、当時在籍していたボルチモア・オリオールズがワールドシリーズを制し、 ワールドシリーズMVPにも輝いています。

オールスターゲームには14回選出され、その守備力も高く評価されました。

1975年にクリーブランド・インディアンスで、アフリカ系アメリカ人として初めて監督(選手兼任)に就任しました。

これにより、野球界における多様性と平等の重要な象徴となりました。

1982年に野球殿堂入り、在籍時の背番号「20」は、ボルチモア・オリオールズ、シンシナティ・レッズ、クリーブランド・インディアンス(当時)の永久欠番に指定されました。

ノーラン・ライアンに次いで2人目の3球団での永久欠番指定選手となりました。

MLB通算本塁打ランキング:ポジション別

ポジション選手通算本塁打数出場期間
捕手マイク・ピアザ
Mike Piazza
4271992-2007

1968年9月4日にペンシルベニア州ノリスタウンで生まれました。

1988年のMLBドラフトでロサンゼルス・ドジャースに指名され、プロのキャリアをスタートさせました。

ドジャースでは1992年から1998年までプレーし、その間に6回のオールスターゲームに選ばれました。

1998年7月にフロリダ・マーリンズ(現マイアミ・マーリンズ)で半年プレーし、その後ニューヨーク・メッツに移籍しました。

メッツでは1998年から2005年までの間、チームの中心選手として活躍しました。

特に1993年から2002年まで10年連続で、捕手としてシルバースラッガー賞を受賞しました。

通算本塁打数は427本で、これは捕手としてのMLB最多本塁打記録です。

2016年に野球殿堂入り、背番号「31」はニューヨーク・メッツの永久欠番となりました。

ポジション選手通算本塁打数出場期間
一塁手アルバート・プーホルス
Albert Pujols
7032001-2022

1999年にMLBドラフトでセントルイス・カージナルスに指名され、プロのキャリアをスタートさせました。

2001年にメジャーリーグデビューし、驚異的なバッティング力を発揮し、その年の新人王を獲得しました。

2012年にロサンゼルス・エンゼルスに移籍した後も、安定したパフォーマンスを維持しました。

通算本塁打数は703本で、一塁手としてのMLB最多本塁打記録を保持しています。

通算打率.296、打点2217、OPS(出塁率+長打率).918を記録しています。

ポジション選手通算本塁打数出場期間
二塁手ジェフ・ケント
Jeff Kent
3771992-2008

1968年3月7日にカリフォルニア州ベルフラワーで生まれました。

1992年にトロント・ブルージェイズでメジャーリーグデビューしました。

通算377本の本塁打を記録し、二塁手としてMLB最多本塁打記録を保持しています。

2000年には、打率.334、本塁打33本、打点125の成績を残し、シーズンMVPに選ばれました。

さらに、2005年には二塁手として史上初の300本塁打を達成しました。

オールスターゲームに5回選出され、二塁手としてシルバースラッガー賞を4度受賞しています。

白人至上主義者として知られ、ボンズや日本人の新庄とは「犬猿の仲」でした。

ポジション選手通算本塁打数出場期間
三塁手マイク・シュミット
Mike Schmidt
5481972-1989

1949年9月27日にオハイオ州デイトンで生まれました。

1972年にフィラデルフィア・フィリーズでメジャーリーグデビューし、引退まで17シーズンにわたりフィリーズでプレーしました。

通算本塁打数は548本であり、三塁手としてのMLB最多本塁打記録です。

通算で3度シーズンMVPを獲得し、オールスターゲームにも12回選出されました。

ゴールドグラブ賞も10回受賞し、守備面でも優れた能力を発揮しました。

チームを1980年のワールドシリーズ制覇に導き、シリーズMVPにも輝きました。

1990年背番号「20」がフィラデルフィア・フィリーズの永久欠番に指定され、1995年に野球殿堂入りしました。

ポジション選手通算本塁打数出場期間
遊撃手カル・リプケン Jr.
Cal Ripken, Jr.
4311981-2001

1960年8月24日にメリーランド州ハバディグレイスで生まれました。

1981年にボルチモア・オリオールズでメジャーリーグデビューし、21シーズンにわたってオリオールズでプレーしました。

通算本塁打数は431本であり、これは遊撃手としての最多本塁打記録です。

シーズンMVPに2度輝き、オールスターゲームに19回選出されました。

1998年には、MLB史上最も有名な記録の一つである「2,632試合連続試合出場記録」を樹立しました。

2001年に、現役時代の背番号「8」がボルチモア・オリオールズの永久欠番に指定され、その功績により2007年に野球殿堂入りを果たしました。

ポジション選手通算本塁打数出場期間
左翼手バリー・ボンズ
Barry Bonds
7621986-2007

1964年7月24日にカリフォルニア州リバーサイドで生まれました。

1986年にピッツバーグ・パイレーツでメジャーリーグデビュー、7シーズン在籍しました。

その後、サンフランシスコ・ジャイアンツで15シーズンにわたってプレーしました。

通算本塁打数762本は、左翼手としての通算最多本塁打であり、MLB史上最多の記録でもあります。

2001年にシーズン73本塁打を打ち、これもMLB史上シーズン最多の記録です。

シーズンMVPに7回選ばれ、オールスターゲームに13回選出されました。

また、外野手としてシルバースラッガー賞を通算12回獲得しています。

ポジション選手通算本塁打数出場期間
中堅手ウィリー・メイズ
Willie Mays
6601951-1973

1931年5月6日にアラバマ州ウェストフィールドで生まれました。

1951年にニューヨーク・ジャイアンツでメジャーリーグデビューしました。

通算本塁打数660本は、中堅手としての最多本塁打記録です。

オールスターゲームに20回選出され、シーズンMVPに2度輝きました。

優れた守備力でも知られていて、MLB史上最も偉大な守備選手の一人としても称賛されています。

12回のゴールドグラブ賞を受賞し、1954年にはワールドシリーズ制覇に貢献しました。

ポジション選手通算本塁打数出場期間
右翼手ハンク・アーロン
Hank Aaron
7551954-1976

1934年2月5日にアラバマ州モービルで生まれました。

1954年から1976年までの23シーズンにわたってプレーし、ミルウォーキー・ブレーブス(現アトランタ・ブレーブス)とミルウォーキー・ブルワーズで活躍しました。

通算755本の本塁打を記録し、これは右翼手としての最多本塁打記録です。

1974年にはベーブ・ルースの持つ通算本塁打記録を抜き、史上最多本塁打記録を樹立しました。

その記録は、2007年にバリー・ボンズに抜かれるまで33年間にわたり破られることはありませんでした。

オールスターゲームに21回選出され、1957年にシーズンMVPを受賞しました。

ポジション選手通算本塁打数出場期間
指名打者デビッド・オルティーズ
David Ortiz
5411997-2016

1975年11月18日にドミニカ共和国のサントドミンゴで生まれました。

1997年にミネソタ・ツインズでメジャーリーグデビュー、6シーズン活躍しました。

その後、ボストン・レッドソックスに移籍し、14シーズンにわたってプレーしました。

通算本塁打数は541本で、これは指名打者としての最多本塁打記録です。

特にボストン・レッドソックスで活躍し、3度のワールドシリーズ制覇(2004年、2007年、2013年)に貢献しました。

また、オールスターゲームに10回選出され、指名打者として7度のシルバースラッガー賞を受賞しました。

チームやファンからは「ビッグ・パピ」という愛称で親しまれ、引退後は、慈善活動や解説者としても活動しています。

オルティーズの偉大な業績は、指名打者の役割とその重要性を再評価するきっかけとなりました。

ポジション選手通算本塁打数出場期間
投手ウェス・フェレル
Wes Ferrell
381927-1941

1908年2月2日にノースカロライナ州グリーンズボロで生まれました。

1927年にクリーブランド・インディアンス(現クリーブランド・ガーディアンズ)でメジャーリーグデビューしました。

その後、ボストン・レッドソックス、ワシントン・セネタース、ニューヨーク・ヤンキース、ブルックリン・ドジャース、ボストン・ブレーブスでプレーしました。

通算38本の本塁打を記録し、これは投手としての最多本塁打記録です。

投手としても通算193勝を挙げ、オールスターゲームに2回選出されました。

投手としての本塁打記録は現在も破られていません。

MLB通算本塁打ランキング:日本人メジャーリーガー

順位選手通算本塁打数出場期間
1松井秀喜1752003-2012

1974年6月12日に石川県能美郡根上町(現:能美市)で生まれました。

1993年に読売ジャイアンツでプロ野球キャリアをスタートさせました。

2003年にニューヨーク・ヤンキースに移籍し、MLBデビューを果たしました。

MLBでの通算本塁打数は175本で、日本人選手として最も多くの本塁打を放った記録です。

2009年のワールドシリーズでヤンキースの優勝に貢献し、MVPを獲得しました。

オールスターゲームにも2回選出されています。

常に謙虚で真摯な姿勢を持ち、日本人選手が海外で成功するための先駆者となりました。

引退後は野球解説者やコーチとして活動し、後進の育成にも力を注いでいます。

順位選手通算本塁打数出場期間
2大谷翔平151
(2023年6月20日現在)
2018-

1994年7月5日に岩手県水沢市(現奥州市)で生まれました。

2013年に北海道日本ハムファイターズでプロ野球キャリアをスタートさせました。

2018年にロサンゼルス・エンゼルスに移籍し、MLBデビューを果たしました。

投手としても打者としても非常に優れた能力を持ち、両方のポジションで活躍しています。

現在、MLBでの通算本塁打数は2022年6月20日現在で151本であり、日本人選手としてMLBで2番目の記録です。

2021年には46本塁打を放ちましたが、本塁打王にはあと一歩及びませんでした。

オールスターゲームにも2回選出され、2021年は投打で同時に選出されました。

順位選手通算本塁打数出場期間
3イチロー1172001-2019

1973年10月22日に愛知県西春日井郡豊山町で生まれました。

1992年にオリックス・ブルーウェーブ(現在のオリックス・バファローズ)でプロ野球キャリアをスタートさせました。

2001年にシアトル・マリナーズに移籍し、MLBデビューを果たしました。

驚異的な打撃技術と俊足を駆使し、数々の記録を打ち立てました。

MLBでの通算本塁打数は117本で、日本人選手として3位の記録を持ちます。

本塁打に限らず安打記録でも顕著で、2004年には262安打を記録し、MLBのシーズン安打記録を更新しました。

オールスターゲームに10回選出され、10回のゴールドグラブ賞を受賞しました。

順位選手通算本塁打数出場期間
4城島健司482006-2009
5井口資仁442005-2008
6福留孝介422008-2012
7青木宣親332012-2017
8松井稼頭央322004-2010
9新庄剛志202001-2003
鈴木誠也20
(2023年6月20日現在)
2022-

まとめ

この記事では、MLB通算本塁打ランキングを紹介しました。

  • MLB通算本塁打ランキングTOP10
  • ポジション別MLB通算本塁打ランキング
  • 日本人メジャーリーガーMLB通算本塁打ランキング

これだけのBIG NAMEのランキングに、大谷翔平選手や鈴木誠也選手がどこまで食い込めるか楽しみです。

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