この記事では、MLBで最多勝を獲得したアジア人投手を紹介します。
驚異的な成績と持ち前の才能が結実し、数々の記録を打ち立てた姿は、野球ファンにとっては真の感動の源です。
- アジア人でMLB通算最多の勝利を挙げた投手
- アジア人でMLBシーズン最多勝を挙げた投手
日本人のわたし達からすると、MLBの最多勝は日本人であってほしいと考えてしまいます。
MLB最多勝アジア人投手:通算
MLBで通算最多勝を達成したアジア人を紹介します。
MLB最多勝アジア人投手:通算
MLBで通算勝利が最多のアジア人投手は、韓国の朴賛浩投手です。
順位 | 選手 | 登板 | 勝利 | 防御率 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|
1 | 朴賛浩 (韓国) | 476 | 124 | 4.36 | 1.40 |
朴賛浩は、1994年にロサンゼルス・ドジャースに入団、韓国人初のメジャーリーガーとなりました。
「コリアン・エクスプレス」として知られ、最速100mph(約161km/h)の速球でMLBの強打者たちを圧倒しました。
しかし、2002年にテキサス・レンジャーズへ移籍してからは、ケガに苦しみ、球速も90mph(約145km/h)前後まで低下しました。
すると、フォーシームを改良し、シュート気味に落ちるツーシームを投げるようになりました。
また、スライダーと組み合わせて、両サイドを攻める投球スタイルで復活を果たしました。
2009年にはフィリーズの一員としてナ・リーグの優勝を経験し、ワールドシリーズでも登板しました。
2010年、メジャー通算124勝目を挙げ、野茂英雄の123勝を超え、MLBアジア人最多勝記録を作りました。
2010年オフ、オリックス・バファローズに移籍、2012年に韓国ハンファ・イーグルスに移籍しましたが、力の衰えは顕著で、現役引退しました。
朴賛浩投手の経歴
年度 | チーム | 登板 | 勝利 | 防御率 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|
1994 | ロサンゼルス・ドジャース | 2 | 0 | 11.25 | 2.50 |
1995 | ↓ | 2 | 0 | 4.50 | 1.00 |
1996 | ↓ | 48 | 5 | 3.64 | 1.41 |
1997 | ↓ | 32 | 14 | 3.38 | 1.14 |
1998 | ↓ | 34 | 15 | 3.71 | 1.34 |
1999 | ↓ | 33 | 13 | 5.23 | 1.58 |
2000 | ↓ | 34 | 18 | 3.27 | 1.31 |
2001 | ↓ | 36 | 15 | 3.50 | 1.17 |
2002 | テキサス・レンジャーズ | 25 | 9 | 5.75 | 1.59 |
2003 | ↓ | 7 | 1 | 7.58 | 1.99 |
2004 | ↓ | 16 | 4 | 5.46 | 1.44 |
2005 | ↓ | 20 | 8 | 5.66 | 1.68 |
↓ | サンディエゴ・パドレス | 10 | 4 | 5.91 | 1.66 |
2006 | ↓ | 24 | 7 | 4.81 | 1.39 |
2007 | ニューヨーク・メッツ | 1 | 0 | 15.75 | 2.00 |
2008 | ロサンゼルス・ドジャース | 54 | 4 | 3.40 | 1.40 |
2009 | フィラデルフィア・フィリーズ | 45 | 3 | 4.43 | 1.40 |
2010 | ニューヨーク・ヤンキース | 27 | 2 | 5.60 | 1.47 |
↓ | ピッツバーグ・パイレーツ | 26 | 2 | 3.49 | 1.13 |
朴賛浩と野茂英雄
1973年、韓国の忠清南道公州市で生まれた朴は、小学生の頃から野球を始めました。
高校生になると速いストレートを投げるようになりました。
しかし、当時、韓国で最も注目を集めていた高校生は、NPBの巨人で活躍した趙成珉でした。
その頃、アジア市場を注目していたドジャースが朴の速球に興味を示していました。
当時、まだ韓国人のメジャーリーガーはいませんでした。
また、韓国人もメジャーリーグに興味を持っていませんでした。
ドジャースは、朴に契約金120万ドルを提示しました。
これは、1993年のMLBドラフト全体1位のアレックス・ロドリゲスの契約金100万ドルを上回っていました。
1994年、マイナーリーグでの経験なしで、メジャーデビューを果たしました。
1965年の村上正則以来のアジア選手の登場で、韓国人初のメジャーリーガーの誕生でもありました。
デビュー戦で1イニング、2失点を喫し、この試合後、マイナーリーグに降格しました。
アメリカでの生活は、人種差別よりも、英語が話せなかったことが苦労の種でした。
そのため、朴は野球よりも英語の勉強に力を入れます。
1996年になると、開幕ロースター入りを果たしました。
当時、ドジャースのエースは、トルネード旋風を起こしていた野茂英雄でした。
メディアにより競争をあおられたこともあり、野茂にライバル意識を持つようになりました。
5歳先輩の野茂は、野球選手としても、人間としても人格が素晴らしく、すぐに仲良くなりました。
朴は、野茂にフォークボールを教えてもらおうとしました。
しかし、朴のような速球を持っているなら、フォークボールは必要ないと諭されます。
結局、肘を痛めやすいフォークボールではなく、チェンジアップを投げるようになりました。
1997年には、野茂とともにチーム最多となる14勝を挙げました。
1998年に15勝を達成すると、2000年にはチーム最多の18勝を挙げました。
これは、王建民が2006年に19勝を記録するまで、アジア人のシーズン最多勝記録でした。
成績だけではなく、別の視点でも注目を浴びます。
2001年のオールスター戦で、引退を発表しているカル・リプケンにわざとホームランを打たれました。
また、この時期、大記録の誕生を嫌い、多くの投手がバリー・ボンズとの勝負を避けていました。
しかし、朴は正々堂々と勝負し、結果的に新記録となるシーズン71本目の本塁打を許しました。
投手にとって一番屈辱的な瞬間ですが、決して勝負を避けようとすることはなかったのです。
2001年までの通算勝利数は、野茂の82勝に対して朴は80勝でした。
野茂より5歳年下の朴は、野茂以上の投手になれると思われていました。
2002年、テキサス・レンジャーズと5年総額6500万ドルの大型契約を結びました。
ドジャースタジアムは寒暖の差が激しく、霧によりボールが湿気を含んで重くなります。
それに比べ、レンジャーズの本拠地グローブライフ・フィールドは、空気が乾燥しているため、他の球場より打球の飛距離が伸びます。
そのため、投手には不利な球場と言われています。
ケガの影響もあり、レンジャースでの成績は22勝33敗、防御率5.79でした。
2005年、サンディエゴ・パドレスにトレードされ、12勝を挙げますが、安定感を欠くものでした。
韓国で絶対的な人気を誇っていた朴は、帰国すれば、楽に野球をやることができます。
しかし、不振にあえいでいても、決して韓国に戻りませんでした。
2007年、ニューヨーク・メッツ、2008年にはロサンゼルス・ドジャース。
2009年、フィラデルフィア・フィリーズ、2010年ニューヨーク・ヤンキースと移籍を繰り返しました。
韓国に戻らなかったのは、メジャーリーグで投げ続けるためでした。
メジャーで投げ続ける理由は、野茂の123勝という目標があったからです。
2011年、ピッツバーグ・パイレーツに移籍し、ついに野茂を越える124勝目を挙げます。
この試合を最後に、朴のメジャーへの旅は終わりを告げます。
MLBで唯一人、クアーズ・フィールドでノーヒット・ノーランを達成した野茂。
野茂は、勝利以外のほとんどの記録で朴より優位に立っていて、朴も十分認識していました。
しかし、勝利という記録だけは、野茂を越えたかった。
123勝という数字は、150年のMLBの歴史からすると、そんなにすごい記録ではありません。
しかし、朴にとって絶対越えなければならない聖域であり、野球を続ける理由でもありました。
2005年、結婚しますが、家族だけの結婚式でしたので、参列した野球選手はたったの二人です。
その二人というのが、朴の高校の友達、そして野茂英雄です。
二人の友情がどれだけ深いかがわかります。
MLB最多勝アジア人投手:2位~10位
朴賛浩投手に次ぐ通算勝利数のアジア人投手を紹介します。
順位 | 選手 | 登板 | 勝利 | 防御率 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|
2 | 野茂英雄 | 323 | 123 | 4.24 | 1.35 |
3 | ダルビッシュ有 | 242 | 95 | 3.50 | 1.13 |
4 | 黒田博樹 | 212 | 79 | 3.45 | 1.17 |
5 | 田中将大 | 174 | 78 | 3.74 | 1.13 |
6 | 柳賢振 (韓国) | 175 | 75 | 3.27 | 1.18 |
7 | 王建民 (台湾) | 174 | 68 | 4.36 | 1.38 |
8 | 岩隈久志 | 150 | 63 | 3.42 | 1.14 |
9 | 前田健太 | 169 | 59 | 3.87 | 1.14 |
10 | 松坂大輔 | 158 | 56 | 4.45 | 1.40 |
MLB最多勝アジア人投手:シーズン
MLBでシーズン最多勝を達成したアジア人を紹介します。
MLB最多勝アジア人投手:シーズン
MLBでシーズン勝利が最多のアジア人投手は、台湾の王建民投手です。
順位 | 選手 | 登板 | 勝利 | 年度 | チーム | 防御率 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 王建民 (台湾) | 34 | 19 | 2006 | ニューヨーク・ヤンキース | 3.63 | 1.31 |
1980年に台湾の台南市で生まれ、幼少期から野球に親しんでいました。
2000年にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約し、2005年にメジャーリーグデビューを果たしました。
最速98mph(約157.7km/h)のシンキング・ファストボールを武器に、グラウンドボールピッチャーとして、多くの打者を内野ゴロに仕留めました。
2006年にシーズン最多勝利数を記録し、アジア人初の最多勝のタイトルを獲得しました。
王建民は台湾の誇りであり、彼の活躍によって台湾の野球人気が高まりました。
勇敢な姿勢と努力を通じて多くのファンの心を掴み、台湾の若い選手たちにも影響を与えました。
王建民の功績は、台湾の野球史において忘れられない存在となっています。
MLBシーズン勝利アジア人投手:2位~10位
王建民投手に次ぐシーズン勝利数を挙げたアジア人投手を紹介します。
順位 | 選手 | 登板 | 勝利 | 年度 | 防御率 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|
2 | 王建民 (台湾) | 30 | 19 | 2007 | 3.70 | 1.29 |
3 | 朴賛浩 (韓国) | 34 | 18 | 2000 | 3.27 | 1.31 |
松坂大輔 | 29 | 18 | 2008 | 2.90 | 1.32 | |
5 | 野茂英雄 | 33 | 16 | 1996 | 3.19 | 1.16 |
野茂英雄 | 34 | 16 | 2002 | 3.39 | 1.32 | |
野茂英雄 | 33 | 16 | 2003 | 3.09 | 1.25 | |
8 | ダルビッシュ有 | 29 | 16 | 2012 | 3.90 | 1.28 |
9 | 岩隈久志 | 33 | 16 | 2016 | 4.12 | 1.33 |
10 | ダルビッシュ有 | 30 | 16 | 2022 | 3.10 | 0.95 |
まとめ
この記事では、MLBで最多勝を達成したアジア人投手を、通算勝利数とシーズン最多勝にフォーカスして紹介しました。
特に、朴賛浩は、日本人の野茂に並々ならぬライバル心を燃やしていました。
MLBに挑戦したアジア人選手の二人を待っていたのは、暖かい応援ではなくバッシングでした。
しかし、MLBにおけるアジア人への偏見と立ち向かい、新しい歴史を刻んできた二人。
スポーツ界では、数えきれないほど、日韓の壮絶な戦いが繰り広げられてきました。
MLBで行われた初の日韓対決は、壮絶な戦いではなく、2人の偉大なるパイオニアが作った美しい光景として、いつまでも日韓選手たちの心の中に残るでしょう。
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