MLBの引退年齢:歴代最年長選手記録TOP10

MLB

この記事では、MLBでの引退年齢を紹介します。

MLBには数多くの偉大な選手達がおり、その中でも長くプレーし続けた選手たちは特に尊敬に値します

その中でも、引退年齢が高くなるまでプレーし続けた選手達は、さらにその功績が高く評価されます。

今回は、MLB史上最年長TOP10の選手たちを紹介したいと思います。

MLBの引退年齢:最年長選手記録

MLBの引退年齢が高い選手を10位から紹介します。

10位:ランディ・ジョンソン(Randy Johnson)

引退年齢生年月日ポジション投球・打席
46歳24日1963年9月10日投手左投右打
チーム在籍期間
モントリオール・エクスポズ1988 – 1989
シアトル・マリナーズ1989 – 1998
ヒューストン・アストロズ1998
アリゾナ・ダイヤモンドバックス1999 – 2004
ニューヨーク・ヤンキース2005 – 2006
アリゾナ・ダイヤモンドバックス2007 – 2008
サンフランシスコ・ジャイアンツ2009

1988年にMLBデビューを果たし、4試合に登板、3勝0敗で防御率2.42でした。

1989年は、シーズン序盤から成績が落ち込み、5月にシアトル・マリナーズにトレードされました。

1992年オフ、父親を亡くしたランディは落ち込み、一度は彼は野球をやめようとしましたが、母親に説得されました。

1993年に開花し、19勝8敗で防御率3.24を記録、6回の300以上奪三振の最初のシーズンとなりました。

1996年はケガでシーズンの大半を欠場しましたが、1997年には20勝4敗、291奪三振、自己ベストの防御率2.28で再起しました。

1998年シーズン途中にトレードでヒューストン・アストロズに移籍、シーズンを通して自己最多の329奪三振を達成しました。

1998年オフにFAでアリゾナ・ダイヤモンドバックスに移籍、17勝9敗、364奪三振、防御率2.48で、チームをプレーオフに導きました。

2004年5月18日、40歳でMLB史上17人目の完全試合を達成、最年長投手での記録となりました。

2008年にサンフランシスコ・ジャイアンツと契約、2009年に2番目の高齢記録となる45歳で300勝を達成しました。

2010年に引退しました。

9位:ジェシー・オロスコ(Jesse Orosco) 

引退年齢生年月日ポジション投球・打席
46歳159日1957年4月21日投手左投右打
チーム在籍期間
ニューヨーク・メッツ1979 , 1981 – 1987
ロサンゼルス・ドジャース1988
クリーブランド・インディアンズ1989 – 1991
ミルウォーキー・ブルワーズ1992 – 1994
ボルチモア・オリオールズ1995 – 1999
セントルイス・カージナルス2000
ロサンゼルス・ドジャース2001 – 2002
サンディエゴ・パドレス
ニューヨーク・ヤンキース
ミネソタ・ツインズ
2003

オロスコは、1979年にニューヨーク・メッツでMLBデビューしました。

1983年はクローザーとして起用されるようになりました。

110イニングに登板、13勝7敗17セーブ、防御率1.47を記録、オールスターにも選ばれ、キャリア最高のシーズンとなりました。

1986年にはメッツのプレーオフ進出に貢献、ワールドシリーズでは、「胴上げ投手」にもなりました。

1987年オフにロサンゼルス・ドジャースに移籍、セットアッパーとしての起用が増えました。

1988年は、55試合に登板して3勝9セーブ、防御率2.72で、自身2度目のワールドシリーズ制覇を経験しました。

1999年、リリーフ出場1051回を達成し、MLB記録を樹立しました。

2004年シーズンにアリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約したが、春季トレーニングの前に引退することを決めました。

8位:チャーリー・ハフ(Charlie Hough)

引退年齢生年月日ポジション投球・打席
46歳202日1948年1月5日投手右投右打
チーム在籍期間
ロサンゼルス・ドジャース1970 – 1980
テキサス・レンジャーズ1980 – 1990
シカゴ・ホワイトソックス1991 – 1992
フロリダ・マーリンズ1993 – 1994

1966年にドジャースに入団し、1970年の春季トレーニングでナックルボールを学び、その年にMLBデビューしました。

ドジャースのトップリリーフ投手として活躍し、1980年にテキサス・レンジャーズにトレードされました。

テキサス・レンジャーズでは先発投手に転向し、1986年にはオールスターに選出されました。

シーズンに多数の完投を投げることでよく知られており、1984年にはリーグ最高の17完投を記録しました。

1993年シーズンに球団拡張で誕生したフロリダ・マーリンズに移籍しました。

1994年シーズン終了後に46歳で引退、ハフは、1940年代生まれの最後の現役選手でした。

7位:ノーラン・ライアン(Nolan Ryan)

引退年齢生年月日ポジション投球・打席
46歳234日1947年1月31日投手右投右打
チーム在籍期間
ニューヨーク・メッツ1966 , 1968 – 1971
カリフォルニア・エンジェルス1972 – 1979
ヒューストン・アストロズ1980 – 1988
テキサス・レンジャーズ1989 – 1993

1966年にニューヨーク・メッツでMLBデビュー、27年間プレーしました。

「ライアンエクスプレス」の愛称で呼ばれ、アメリカの野球界で伝説的な存在です。

ライアンは、キャリアを通じて時速100マイル(161 km/h)を超える投球を維持しました。

また、MLB記録である生涯5,714奪三振を記録していて、次点のランディ・ジョンソンよりも839個多くなっています。

7回のノーヒットノーランを達成していて、MLB史上最高の投手とされています。

1993年9月22日のシアトル・マリナーズ戦で一死も取れずに2安打4四球5失点で降板。

降板後に右肘に痛みが走り、残りのシーズンの登板を回避し、これが現役最後の登板となりました。

現在は引退していますが、彼の記録は未だに破られることがありません。

6位:ホッド・リセンビー(Hod Lisenbee)

引退年齢生年月日ポジション投球・打席
46歳349日1898年9月23日投手右投右打
チーム在籍期間
ワシントン・セネターズ1927 – 1928
ボストン・レッドソックス1929 – 1932
フィラデルフィア・アスレチックス1936
シンシナティ・レッズ1945

1927年にワシントン・セネターズと契約し、4月23日に初登板初勝利を飾りました。

そのシーズン成績であった110勝44敗のニューヨーク・ヤンキースに対し、5勝1敗の成績を挙げました。

1928年オフにボストン・レッドソックスにトレードされ、1929年はメジャーとマイナーの「ジャーニーマン」になりました。

1942年に引退し、家族の農場を経営していましたが、1944年に復帰を決意、45歳の時マイナーリーグでノーヒットノーランを達成しました。

1945年にシンシナティ・レッズと3,000ドルで契約、31試合に登板しましたが、この年に解雇されました。

ジャーニーマンとは、プロスポーツでいくつものチームを渡り歩く選手のこと。

逆に長期に渡って同一チームの第一線で活動し続ける選手はフランチャイズ・プレイヤーと呼ばれる。<Wikipediaより引用>

5位:サチェル・ペイジ(Satchel Paige)

引退年齢生年月日ポジション投球・打席
47歳77日1906年7月7日投手右投右打
チーム在籍期間
クリーブランド・インディアンス1948 – 1949
セントルイス・ブラウンズ1951 – 1953
カンザスシティ・アスレチックス1965

1948年のペイジの42歳の誕生日に、クリーブランド・インディアンズとシーズン残り3ヶ月間を4万ドルで契約しました。

アメリカン・リーグの最初の黒人投手、MLB全体で7番目の黒人メジャーリーガーとなりました。

42歳のペイジは、史上最高齢新人投手として6勝1敗、防御率2.48の成績でリーグ優勝に貢献しました。

1949年にチームが売却されると解雇されますが、1950年にセントルイス・ブラウンズと契約、3勝4敗の成績で終え、防御率は4.79でした。

1952年、人種差別的な発言があったロジャーズ・ホーンズビーがブラウンズの監督に就任しましたが、躊躇なくペイジを起用し、またこの年のオールスターに最初の黒人投手として選出されました。

1953年、セントルイス・ブラウンズが売却されると、ペイジも解雇されました。

1965年、この時59歳のペイジは、カンザスシティ・アスレチックスと1試合だけの契約を結びました。

ボストン・レッドソックス戦で3回1安打無失点、投球数28で最高齢登板記録となりました。

4位:フィル・ニークロ(Phil Niekro)

引退年齢生年月日ポジション投球・打席
48歳150日1939年4月1日投手右投右打
チーム在籍期間
ミルウォーキー・ブレーブス
アトランタ・ブレーブス
1964 – 1983
ニューヨーク・ヤンキース1984 – 1985
クリーブランド・インディアンス1986 – 1987
トロント・ブルージェイズ
アトランタ・ブレーブス
1987

1964年にMLBデビューし、この年は15イニング登板しました。

1967年、防御率1.87でリーグトップとなり、10回の完投と9回のセーブを記録して、11勝9敗9セーブの成績を残しました。

1969年に初めてオールスターに選出され、23勝13敗1セーブ、防御率2.56の成績を残しました。

1973年には、ブレーブスが本拠地をアトランタに移して初めてのノーヒットノーランを達成しました。

1984年、ニューヨーク・ヤンキースと2年契約を結び、5回目で最後のオールスター出場を果たしました。

1985年、通算300勝を達成し、また46歳188日のニークロは、MLB最年長の完封投手となりました。

1987年、古巣アトランタ・ブレーブスと再び契約を結び、シーズン終了後に引退しました。

3位:フリオ・フランコ(Julio Franco)

引退年齢生年月日ポジション投球・打席
49歳25日1958年8月23日内野手右投右打
チーム在籍期間
フィラデルフィア・フィリーズ1982
クリーブランド・インディアンズ1983 – 1988
テキサス・レンジャーズ1989 – 1993
シカゴ・ホワイトソックス1994
千葉ロッテマリーンズ1995
クリーブランド・インディアンズ1996 – 1997
ミルウォーキー・ブルワーズ1997
千葉ロッテマリーンズ1998
タンパベイ デビル・レイズ1999
三星ライオンズ2000
アトランタ・ブレーブス2001 – 2005
ニューヨーク・メッツ2006 – 2007
アトランタ・ブレーブス2007

1982年にMLBデビューし、フィラデルフィア・フィリーズで16試合に出場しました。

1986年から1989年のシーズンで打率3割以上を記録し、1983年から1991年のシーズンで合計219盗塁を記録しました。

テキサス・レンジャーズに在籍時に3回オールスターに選出され、1990年にはオールスターMVPを受賞しました。

1994年、千葉ロッテマリーンズと契約を結び、1995年の日本のゴールデングラブ賞を獲得しました。

2004年、MLB史上最年長のレギュラーポジションプレーヤーになりました。

2004年から2007年までMLBで最年長の選手であり、1950年代生まれの最後の現役選手でした。

2006年、サンディエゴ・パドレス戦でMLB史上最年長の本塁打を放っています。

また、グランドスラム、代打本塁打、1試合2本塁打、1試合で2盗塁を達成した史上最年長の選手でもあります。

2位:ジェイミー・モイヤー(Jamie Moyer)

引退年齢生年月日ポジション投球・打席
49歳191日1962年11月18日投手左投左打
チーム在籍期間
シカゴ・カブス1986 – 1988
テキサス・レンジャーズ1989 – 1990
セントルイス・カージナルス1991
ボルチモア・オリオールズ1993 – 1995
ボストン・レッドソックス1996
シアトル・マリナーズ1996 – 2006
フィラデルフィア・フィリーズ2006 – 2010
コロラド・ロッキーズ2012

1986年、シカゴ・カブスでMLBデビューを果たし、初勝利を収めました。

技巧派投手として代表的存在で、30歳以降に527回の先発登板を記録し、21世紀最大の鉄人投手として知られます。

2010年、左肘の張りによりシーズン全休し、1996年以来続いていたシーズン150イニング以上登板の記録は14シーズンでストップしました。

オフシーズンに再び左肘を痛め、48歳で「トミー・ジョン手術」を受けました。

その後、2011年のシーズン全休を経て2012年に復帰しました。

手術明けの49歳とは思えない活躍で、4月17日にはMLB史上最年長で勝利投手となりました。

49歳で先発登板を果たしたのはMLB史上初で、3試合で「クオリティ・スタート」を達成しています。

しかし、6月には解雇され、マイナーリーグで2試合登板後に引退しました。

トミー・ジョン手術とは、1974年にフランク・ジョーブによって考案され、初めてこの手術を受けた投手のトミー・ジョンにちなんでこう呼ばれている。投球の際に肘の側副靭帯に大きな負担がかかる野球の投手が受けることの多い手術。<Wikipediaより引用>

クオリティ・スタートとは、野球における投手の成績評価項目の1つ。先発投手が6イニング以上を投げ、かつ3自責点以内に抑えた時に記録される。<Wikipediaより引用>

MLBのQSについて詳しく知りたいときは、こちらの記事で解説しています。

1位:ホイト・ウィルヘルム(Hoyt Wilhelm)

引退年齢生年月日ポジション投球・打席
49歳350日1922年7月26日投手右投右打
チーム在籍期間
ニューヨーク・ジャイアンツ1952 – 1956
セントルイス・カージナルス1957
クリーブランド・インディアンズ1957 – 1958
ボルチモア・オリオールズ1958 – 1962
シカゴ・ホワイトソックス1963 – 1968
カリフォルニア・エンジェルス1969
アトランタ・ブレーブス1969 – 1970
シカゴ・カブス1970
アトランタ・ブレーブス1971
ロサンゼルス・ドジャース1971 – 1972

1952年に29 歳でニューヨーク・ジャイアンツでMLBデビューを果たしました。

専らリリーフで投球し、新人の年は15勝3敗11セーブで、ナショナル・リーグでの最優秀防御率2.43を達成しました。

1958年9月20日、ニューヨーク・ヤンキースを相手にノーヒットノーランを達成しています。

しかし、年齢を感じさせない好成績を残していたにもかかわらず、キャリア晩年は「ジャーニーマン」となり、数多くのチームを渡り歩いています。

引退時、当時のMLB記録である 1,070 試合に登板していました。

生涯で200セーブを達成した最初の投手で、1000試合に登板した最初の投手でもあります。

MLBで登板した最高齢選手の1人で、彼の最後の登場は、50歳の誕生日から16日足らずでした。

MLBの引退年齢:日本人メジャーリーガー

ここでは、MLBで活躍した主な日本人メジャーリーガーの引退年齢を紹介します。

日本からMLBに挑戦した選手はたくさんいますが、その後NPBに戻っている選手も多いので、MLBで選手生活を終えた選手に限ります。

イチロー

引退年齢生年月日ポジション投球・打席
46歳1973年10月22日外野手右投左打
チーム在籍期間
オリックス・ブルーウェーブ1992 – 2000
シアトル・マリナーズ2001 – 2012
ニューヨーク・ヤンキース2012 – 2014
マイアミ・マーリンズ2015 – 2017
シアトル・マリナーズ2018 – 2019

2019年3月20日、東京ドームで開催されたMLB日本開幕戦にマリナーズのメンバーとして参加しました。

2試合に出場し、翌日に引退を発表、現役最後の打席は、8回表での遊ゴロでした。

野茂英雄

引退年齢生年月日ポジション投球・打席
40歳1968年8月31日投手右投右打
チーム在籍期間
近鉄バファローズ1990 – 1994
ロサンゼルス・ドジャース1995 – 1998
ニューヨーク・メッツ1998
ミルウォーキー・ブルワーズ1999
デトロイト・タイガース2000
ボストン・レッドソックス2001
ロサンゼルス・ドジャース2002 – 2004
タンパベイ・デビルレイズ2005
カンザスシティ・ロイヤルズ2008

2008年に東北楽天ゴールデンイーグルスは交渉意思を示しましたが、入団には至りませんでした。

7月17日に現役引退を表明、引退会見は行われませんでした。

ドジャース以外の29球団と対戦して勝ち星を挙げたため、MLB全30球団からの勝利が達成される直前で引退することになりました。

長谷川滋利

引退年齢生年月日ポジション投球・打席
37歳1968年8月1日投手右投右打
チーム在籍期間
オリックス・ブルーウェーブ1991 – 1996
アナハイム・エンゼルス1997 – 2001
シアトル・マリナーズ2002 – 2005

2005年、彼は開幕から絶好調で、防御率1点台を維持、7月24日にはMLB日本人選手初となる500試合登板を達成しました。

契約には、58試合以上登板すれば自動的に更新されるオプションがありましたが、46試合で終わり、オフにFAとなりました。

その後、NPB/MLBの複数球団からオファーがありましたが、2006年1月に正式に引退を表明しました。

松井秀喜

引退年齢生年月日ポジション投球・打席
38歳1974年6月12日外野手右投左打
チーム在籍期間
読売ジャイアンツ1993 – 2002
ニューヨーク・ヤンキース2003 – 2009
ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム2010
オークランド・アスレチックス2011
タンパベイ・レイズ2012

2012年7月24日、監督からDFAの通告を受け、翌日に球団から正式に発表されました。

8月1日には自由契約となり、オファーする球団は現れませんでした。

12月27日に記者会見を開き、2012年シーズン限りで現役を引退することを表明しました。

6月1日のオリオールズ戦放った2号2点本塁打が現役最後の本塁打となりました。

MLBの引退年齢:まとめ

この記事では、MLBの引退年齢を最高齢からTOP10を紹介しました。

TOP10中、野手は1人だけで、あとの9人は投手でした。

圧倒的に投手の方が長く選手生活を送ることができることが分かりました。

日本のプロ野球でも、引退時の最高齢は投手です。

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